1974年使用のモデル(タグに74・15とある)。1974年に使用されたもので袖マークなしの最終版。野村監督時代の2代目ユニフォームとして登場。デザインの段階から参加して、ピッバーグパイレーツのユニフォームをモチーフにしたといわれており、解任されるまで使用されたデザインです。まさに野村監督時代を象徴するユニフォームです。また南海として初めてニット素材を使用し、球界初のベルトレスユニフォームとして名を馳せたのもコレです。1973年の南海ホークス最後の優勝を経験したのものモデルのユニフォームです。このユニフォームは74-15のタグがあり、村上雅則投手のモノとわかります。村上投手は、マッシー村上の名前で日本人メジャーリーガー第一号ということで有名です。15番は、米国より復帰後の背番号。渡米前は10番をつけていました。なお1974年オフに阪神タイガースにトレードとなってしまうので、このユニフォームは南海在籍最後のユニフォームという事になります。
●製造/久保田運動具店 ●所蔵者/中島宏幸さん